第21回戦没者追悼中央国民集会 各界代表の提言 亜細亜大学 東中野修道教授
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8月15日の第21回戦没者追悼中央国民集会において各界代表の提言ということで、先日は日本李登輝友の会 薛格芳青年部副部長さんの提言を掲載いたしました。
今回、テキスト興しをしてくださったProjectPさんのご好意で、同日に同じく提言をしてくださいました亜細亜大学 東中野修道教授の提言を掲載いたします。
内容的にも非常に面白い内容をお話くださいました。
では、以下に掲載いたします。長文ご容赦ください。
-----------------------------------------------------
司会 続きまして、亜細亜大学教授、日本南京学会会長の東中野修道先生にご提言をいただきます。(拍手)
先生は政治思想史、日本思想史がご専門ですが、近現代史の公正な見直しを求める私共にとりまして大きな課題であります、所謂南京問題につきまして、積極的なご発言を展開されております。
ご著書としましても、「南京虐殺の徹底検証」や、「南京事件「証拠写真」を検証する」など多数あり、現在は日本南京学会会長としてご活躍であります。
それでは東中野先生、よろしくお願い申し上げます。(拍手)
【全文文字起こし、東中野教授のゆっくりした口調を忠実に再現するために、句点は特に多目です】
東中野修道です。
私達日本人にとって、本来この8月15日という日は、戦争で国の為に命を奉げられた戦死者に対して、想いを馳せ、今を生きる者として、心から静かに、哀悼の念を奉げる日でありました。
現在の自分が、過去の歴史と、繋がっていました。
ところが、過去20年、総理大臣がこの日に、靖国神社に参拝する事を、国の内外から、激しい反発の声が、聞こえるようになりました。
「日本軍は、中国を侵略し、中国人を残虐に虐殺した。だから総理大臣が靖国神社に参拝する事は、中国の感情を無視している。中止すべきである」と、こう北京政府から言われ、国内からもこれに反発するのではなく、同調ないしは呼応する声が上がっているためでした。
私達の代表である総理大臣が、靖国神社に参拝しない事は、中国の言い分を認める事を意味しますから、8月15日は年々騒々しくなってきました。
そのためか、今年は又、総理大臣も閣僚も、一人も参拝しないという、8月15日を迎えております。
靖国参拝批判と同時並行的に、いやそれより以前から、徐々に教科書も変化し始めています。
自虐的な記述によってですが、その端的な現れが、日中戦争すなわち支那事変と、南京陥落の記述です。
中学生が学んでいる歴史教科書の一つ、「私たちの中学社会」を見てみますと、まず「日本の中国侵略」という、章立てがあります。
その「中国侵略」という章立ての目録、「15年にわたる侵略戦争が続く」という見出しが続き、そして「日中全面戦争へ」という見出しが続きます。
支那事変と南京陥落の、記述の箇所を読んでみます。
「1937年、昭和12年7月7日、北京郊外の盧溝橋で、日本軍と中国軍との衝突が起こり、宣戦布告もないまま、日本軍が中国と全面戦争を始めた。日中戦争」
「年末には日本軍は首都南京を占領したが、その際、20万とも言われる捕虜や民間人を殺害し、暴行や略奪も後を絶たなかったため、厳しい国際的非難を浴びた。南京事件」
教科書は、これから日本を担っていく子供たちに対して、日本軍が中国を侵略し、残虐に中国人を殺しまくった、略奪した、暴行した、日本は悪い事をしたと、教えています。
そして総理大臣の靖国参拝の中止という、北京政府の内政干渉の下、8月15日はあたかも、日本国政府総理大臣に、この歴史認識を認めさせる、踏み絵であるかのように、そして又、この歴史認識を、日本全国民に浸透させるかのように、なってきました。
これでは知らず知らずのうちに、私達日本人が日本の歴史を忌み嫌い、過去との断絶を引き起こしているのは目に見えています。(拍手)
これでは、敗戦からの復活もありえない。
日本も、日本人も、活力ある存在にはなり得ません。
しかしこの、中国侵略とか、南京大虐殺という記述は、近年の研究により、事実と異なっている事が明らかとなってきました。
まず中国侵略という記述ですが、次の理由から事実に反しており、正しくありません。
侵略とは、相手から挑発もされないのに、こちらから第一撃を放ち、先制攻撃する事です。
今から70年前の7月7日午後10時40分、盧溝橋、北京の西方12kmの盧溝橋で、日本軍は中国の第29軍から、第一撃を放たれ、それから7時間後の7月8日午前5時半、視界明瞭な早朝に、第四撃を放たれ、そこで初めて日本軍は反撃に転じた訳でした。
今から70年前の8月13日に、盧溝橋から一ヵ月後の事になりますが、盧溝橋から1000km南の上海で、日本海軍陸戦隊が蒋介石の軍隊から攻撃され、そして8月14日、8月17日と、標的とされた為やむなく、日本海軍陸戦隊は反撃に転じ、それが蒋介石との全面戦争へと発展いたしました。
日本軍は、上海で、挑発もしないのに、攻撃をされた為、上海事変が起きたのです。
そして戦いは、上海で決着しなかったから、逃げる敵を南京まで追撃し、そしてとうとう大陸の奥深く、引きずり込まれてしまった。(拍手)
つまり日本軍は、コミンテルン国際共産党のスターリンと毛沢東の戦略の下、中国の内戦に押し込まれてしまった訳です。(拍手)
しかしそういう意味に於いて、日本軍がそもそも外国にいたのが悪いと言われます。
そうでしょうか?
10年前の香港返還までは、香港にはイギリス軍が駐留しました。
同じように1930年代には、香港にもマカオにも、北京から北京の海の出口の天津に至る一帯にも、外国軍が条約上の権利に基づき駐留しておりました。(拍手)
フランス領事の支配地、上海のフランス租界にはフランス軍が、イギリスアメリカ日本の領事が支配する上海の共同租界には、アメリカ軍2750人、イギリス軍2590人、日本海軍陸戦隊2500人が駐留しておりました。
それは中国大陸の内戦と内乱、そして不安定な政治情勢から、自国民を守る為の措置でした。(拍手)
次に南京大虐殺ですが、教科書は日本軍は首都南京を占領した際、20万人とも言われる捕虜や市民を殺しまくったと述べていますが、これもまた事実に反します。
時間の関係で詳しくは述べられませんが、これは蒋介石の国民党が、敵国日本を貶めるために工作した、戦争宣伝に他ならず、国民党が、国民党と親しい関係にあった南京のアメリカ人数人に、書いてもらった宣伝本が第一の源流であります。(拍手)
それを利用した東京裁判の判決が第二の源流となって、南京大虐殺が生まれた事が判明しております。
教科書の描写が、事実からかけ離れている事は、これはもう、人口問題一つ取っても明らかです。
南京の陥落前の人口は20万人でしたから、教科書が言うように20万人が虐殺されたのであれば、差し引き人口は0となります。
ところが陥落直前の南京の人口は20万、陥落10日後の人口も20万、陥落一ヵ月後の人口は25万人と、南京の欧米人は記録していました。(拍手)
陥落直後の人口は変わっていないか増えておりますから、陥落後に市民が殺されたとは、まったく考えられない訳です。
また、例え戦争中でも、市民を殺す事は、これは大問題ですから、日本は当然、非難されておりました。
ところが、南京陥落後300回も、毎日のように開催された、国民党政府の外国人記者会見に於いてすら、中華民国政府は南京大虐殺という発表をしておりませんでした。(拍手)
そこに来ていた外国人記者も、質問を出した事はありませんでした。(拍手)
国際的な非難は、なかったという事なんです。(拍手)
ところで、1980年代から新たに持ち出された、日本軍の処刑の問題に触れますが、日本軍は、戦闘詳報に、堂々と、処刑の記述を、記録しておりました。
それが1980年代から、不法という主張になり、教科書の言うような、捕虜虐殺という主張になりました。
ところが、南京の外交官も、大使館付武官も、国際委員会も、そして又、首都成都の国民党政府も、さらに国際都市上海の外国人特派員も、さらに又、南京で実情調査をした東京のアメリカ大使館の武官も、日本軍の処刑を不法と非難した事は一度もありません。(拍手)
日本軍の処刑に対する、国際的な非難は、なかったのです。(拍手)
東京裁判の、証言台に於いても、処刑を不法と非難する者は、誰一人いませんでした。
ではなぜ、誰も不法と言わなかったのか、その事につきましては、今月の初めに出しました、「再現南京戦」に論じておりますので、それをご覧いただきたいと思います。
今回、私は「再現南京戦」を執筆する為に、改めて日本軍の戦闘詳報、並びに日本軍将兵の陣中日誌を、読み返してみました。
そうしてわかった事は、教科書が記述しているような事は、決してなかった。
日本軍は、死ぬか生きるかの苦しい戦いの中にあっても、市民に危害が及ばないよう細心の注意を払い、捕虜や負傷兵に対しては労わりながら、ルールを守って堂々と戦っていたという事です。(拍手)
過去四半世紀に於いて、歪められた歴史、この歪められた歴史によって、少しずつ日本人の精神構造も歪められてきているかように、私は感じます。
これはすぐには回復できないでしょうけれども、8月15日が、今に生きている私達が、先の戦争で尊い命を奉げられた方々に対して、その方々のおかげで、今日の平和と繁栄があるんだと、感謝し、追悼の念を奉げる日となる事が、日本の精神的復活の第一歩だと思っております。(拍手)
ご清聴ありがとうございました。(拍手)
司会 どうもありがとうございました。
東中野先生には、日本人の精神にも影響を与えている、歪められた歴史に対して、事実を以て反論する姿勢を、明確にご提示いただきました。
どうもありがとうございました。(拍手)
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スクロールしてお読みくださった方、ありがとうございました。
今回、テキスト興しをしてくださったProjectPさんのご好意で、同日に同じく提言をしてくださいました亜細亜大学 東中野修道教授の提言を掲載いたします。
内容的にも非常に面白い内容をお話くださいました。
では、以下に掲載いたします。長文ご容赦ください。
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司会 続きまして、亜細亜大学教授、日本南京学会会長の東中野修道先生にご提言をいただきます。(拍手)
先生は政治思想史、日本思想史がご専門ですが、近現代史の公正な見直しを求める私共にとりまして大きな課題であります、所謂南京問題につきまして、積極的なご発言を展開されております。
ご著書としましても、「南京虐殺の徹底検証」や、「南京事件「証拠写真」を検証する」など多数あり、現在は日本南京学会会長としてご活躍であります。
それでは東中野先生、よろしくお願い申し上げます。(拍手)
【全文文字起こし、東中野教授のゆっくりした口調を忠実に再現するために、句点は特に多目です】
東中野修道です。
私達日本人にとって、本来この8月15日という日は、戦争で国の為に命を奉げられた戦死者に対して、想いを馳せ、今を生きる者として、心から静かに、哀悼の念を奉げる日でありました。
現在の自分が、過去の歴史と、繋がっていました。
ところが、過去20年、総理大臣がこの日に、靖国神社に参拝する事を、国の内外から、激しい反発の声が、聞こえるようになりました。
「日本軍は、中国を侵略し、中国人を残虐に虐殺した。だから総理大臣が靖国神社に参拝する事は、中国の感情を無視している。中止すべきである」と、こう北京政府から言われ、国内からもこれに反発するのではなく、同調ないしは呼応する声が上がっているためでした。
私達の代表である総理大臣が、靖国神社に参拝しない事は、中国の言い分を認める事を意味しますから、8月15日は年々騒々しくなってきました。
そのためか、今年は又、総理大臣も閣僚も、一人も参拝しないという、8月15日を迎えております。
靖国参拝批判と同時並行的に、いやそれより以前から、徐々に教科書も変化し始めています。
自虐的な記述によってですが、その端的な現れが、日中戦争すなわち支那事変と、南京陥落の記述です。
中学生が学んでいる歴史教科書の一つ、「私たちの中学社会」を見てみますと、まず「日本の中国侵略」という、章立てがあります。
その「中国侵略」という章立ての目録、「15年にわたる侵略戦争が続く」という見出しが続き、そして「日中全面戦争へ」という見出しが続きます。
支那事変と南京陥落の、記述の箇所を読んでみます。
「1937年、昭和12年7月7日、北京郊外の盧溝橋で、日本軍と中国軍との衝突が起こり、宣戦布告もないまま、日本軍が中国と全面戦争を始めた。日中戦争」
「年末には日本軍は首都南京を占領したが、その際、20万とも言われる捕虜や民間人を殺害し、暴行や略奪も後を絶たなかったため、厳しい国際的非難を浴びた。南京事件」
教科書は、これから日本を担っていく子供たちに対して、日本軍が中国を侵略し、残虐に中国人を殺しまくった、略奪した、暴行した、日本は悪い事をしたと、教えています。
そして総理大臣の靖国参拝の中止という、北京政府の内政干渉の下、8月15日はあたかも、日本国政府総理大臣に、この歴史認識を認めさせる、踏み絵であるかのように、そして又、この歴史認識を、日本全国民に浸透させるかのように、なってきました。
これでは知らず知らずのうちに、私達日本人が日本の歴史を忌み嫌い、過去との断絶を引き起こしているのは目に見えています。(拍手)
これでは、敗戦からの復活もありえない。
日本も、日本人も、活力ある存在にはなり得ません。
しかしこの、中国侵略とか、南京大虐殺という記述は、近年の研究により、事実と異なっている事が明らかとなってきました。
まず中国侵略という記述ですが、次の理由から事実に反しており、正しくありません。
侵略とは、相手から挑発もされないのに、こちらから第一撃を放ち、先制攻撃する事です。
今から70年前の7月7日午後10時40分、盧溝橋、北京の西方12kmの盧溝橋で、日本軍は中国の第29軍から、第一撃を放たれ、それから7時間後の7月8日午前5時半、視界明瞭な早朝に、第四撃を放たれ、そこで初めて日本軍は反撃に転じた訳でした。
今から70年前の8月13日に、盧溝橋から一ヵ月後の事になりますが、盧溝橋から1000km南の上海で、日本海軍陸戦隊が蒋介石の軍隊から攻撃され、そして8月14日、8月17日と、標的とされた為やむなく、日本海軍陸戦隊は反撃に転じ、それが蒋介石との全面戦争へと発展いたしました。
日本軍は、上海で、挑発もしないのに、攻撃をされた為、上海事変が起きたのです。
そして戦いは、上海で決着しなかったから、逃げる敵を南京まで追撃し、そしてとうとう大陸の奥深く、引きずり込まれてしまった。(拍手)
つまり日本軍は、コミンテルン国際共産党のスターリンと毛沢東の戦略の下、中国の内戦に押し込まれてしまった訳です。(拍手)
しかしそういう意味に於いて、日本軍がそもそも外国にいたのが悪いと言われます。
そうでしょうか?
10年前の香港返還までは、香港にはイギリス軍が駐留しました。
同じように1930年代には、香港にもマカオにも、北京から北京の海の出口の天津に至る一帯にも、外国軍が条約上の権利に基づき駐留しておりました。(拍手)
フランス領事の支配地、上海のフランス租界にはフランス軍が、イギリスアメリカ日本の領事が支配する上海の共同租界には、アメリカ軍2750人、イギリス軍2590人、日本海軍陸戦隊2500人が駐留しておりました。
それは中国大陸の内戦と内乱、そして不安定な政治情勢から、自国民を守る為の措置でした。(拍手)
次に南京大虐殺ですが、教科書は日本軍は首都南京を占領した際、20万人とも言われる捕虜や市民を殺しまくったと述べていますが、これもまた事実に反します。
時間の関係で詳しくは述べられませんが、これは蒋介石の国民党が、敵国日本を貶めるために工作した、戦争宣伝に他ならず、国民党が、国民党と親しい関係にあった南京のアメリカ人数人に、書いてもらった宣伝本が第一の源流であります。(拍手)
それを利用した東京裁判の判決が第二の源流となって、南京大虐殺が生まれた事が判明しております。
教科書の描写が、事実からかけ離れている事は、これはもう、人口問題一つ取っても明らかです。
南京の陥落前の人口は20万人でしたから、教科書が言うように20万人が虐殺されたのであれば、差し引き人口は0となります。
ところが陥落直前の南京の人口は20万、陥落10日後の人口も20万、陥落一ヵ月後の人口は25万人と、南京の欧米人は記録していました。(拍手)
陥落直後の人口は変わっていないか増えておりますから、陥落後に市民が殺されたとは、まったく考えられない訳です。
また、例え戦争中でも、市民を殺す事は、これは大問題ですから、日本は当然、非難されておりました。
ところが、南京陥落後300回も、毎日のように開催された、国民党政府の外国人記者会見に於いてすら、中華民国政府は南京大虐殺という発表をしておりませんでした。(拍手)
そこに来ていた外国人記者も、質問を出した事はありませんでした。(拍手)
国際的な非難は、なかったという事なんです。(拍手)
ところで、1980年代から新たに持ち出された、日本軍の処刑の問題に触れますが、日本軍は、戦闘詳報に、堂々と、処刑の記述を、記録しておりました。
それが1980年代から、不法という主張になり、教科書の言うような、捕虜虐殺という主張になりました。
ところが、南京の外交官も、大使館付武官も、国際委員会も、そして又、首都成都の国民党政府も、さらに国際都市上海の外国人特派員も、さらに又、南京で実情調査をした東京のアメリカ大使館の武官も、日本軍の処刑を不法と非難した事は一度もありません。(拍手)
日本軍の処刑に対する、国際的な非難は、なかったのです。(拍手)
東京裁判の、証言台に於いても、処刑を不法と非難する者は、誰一人いませんでした。
ではなぜ、誰も不法と言わなかったのか、その事につきましては、今月の初めに出しました、「再現南京戦」に論じておりますので、それをご覧いただきたいと思います。
今回、私は「再現南京戦」を執筆する為に、改めて日本軍の戦闘詳報、並びに日本軍将兵の陣中日誌を、読み返してみました。
そうしてわかった事は、教科書が記述しているような事は、決してなかった。
日本軍は、死ぬか生きるかの苦しい戦いの中にあっても、市民に危害が及ばないよう細心の注意を払い、捕虜や負傷兵に対しては労わりながら、ルールを守って堂々と戦っていたという事です。(拍手)
過去四半世紀に於いて、歪められた歴史、この歪められた歴史によって、少しずつ日本人の精神構造も歪められてきているかように、私は感じます。
これはすぐには回復できないでしょうけれども、8月15日が、今に生きている私達が、先の戦争で尊い命を奉げられた方々に対して、その方々のおかげで、今日の平和と繁栄があるんだと、感謝し、追悼の念を奉げる日となる事が、日本の精神的復活の第一歩だと思っております。(拍手)
ご清聴ありがとうございました。(拍手)
司会 どうもありがとうございました。
東中野先生には、日本人の精神にも影響を与えている、歪められた歴史に対して、事実を以て反論する姿勢を、明確にご提示いただきました。
どうもありがとうございました。(拍手)
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スクロールしてお読みくださった方、ありがとうございました。
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--takeshima dokdo dokto tokdo tokto
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