自衛隊の良い話
独り言
2ちゃんねるからです。
「何かキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」のsarahさんがとりあげていたのにつられて、僕も取り上げてみました。
スレはこちら
以下は上記スレからの一部抜粋です。
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1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:00:30.06
何かある?
7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:03:48.56 ID:q62b1krG0
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:04:16.32 ID:qMxnwK8+0
2000年7月4日、20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するため、
世界各国の帆船170隻、海軍の艦艇70隻がニューヨーク港に集結した。
翌日の5日に英国の豪華客船「クイーンエリザベス号」が入港してきたのだが、
折悪しくも2ノット半の急流となっていたハドソン河の流れに押された
巨大な客船は、あれよあれよと言う間もなく、
係留中の我が海上自衛隊の自衛艦「かしま」の船首部分に接触してしまったのである。
着岸した「QE」からすぐさま、船長のメッセージを携えた機関長と
一等航海士が謝罪にやってきた。
相手の詫び言に対応した「かしま」艦長はこう答えた。
「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。
それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております」
これが何千人もの船乗りたちの間で大評判になり、
ニューヨークだけでなく、ロンドンにも伝わって
「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も記事にし
日本のネイバル・オフィサーのユーモアのセンスを評価する声が高かったそうである。
「かしま」艦長、上田勝恵一等海佐の対応の見事さは勲章ものではないでしょうか。
10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:04:49.73 ID:okCjfRgL0
493 名前:なご[sage] 投稿日:2009/03/24(火) 02:48:14 ID:G82vSG150
文芸春秋で自衛隊の面白い話が載ってた
自衛隊員A(以下A)「おい、デモ隊がここ(宿営地)に向かっているらしいぞ」
自衛隊員B(いry「うえ、この間アブグレイブでイラク人虐待があったばかりじゃん、どうすんだよ」
A「それが、どうも支援デモらしいぞ」
B「は? 支援デモ? 私怨じゃなくて? そんなデモ聞いたことね?よ」
A「俺もね?よ。ま、一応、本当に応援だった時の為に飲み物とアイスでも用意しておこや。暑いし」
デモ隊参上
彼らの持つ旗には自衛隊を支持する言葉が書かれていた
A「うあ、本当に支援デモだ。おい、アイス配れ、冷たい水あげれ」
B「アイス足らねーよ。弾幕薄いぞ、何やってんの。アイス追送頼む」
デモ隊、にこにこ顔でアイス頬張る、でもゴミぽい捨て。
自衛隊員見かねてゴミを拾う、すると、何てことでしょう、彼らもゴミを拾い出したのです。
そんなこんなで後日
米&英軍「おい、こないだのあれ、いくら使ってやったんだ?」
自衛隊「あれ?」
米&英「あれだよあれ、支援デモ」
自「あれは、住民が自発的にやってきたんだよ」
米&英「ははっそんなわけあるかよ。吐けよ、同盟国じゃん」
自「・・・・・・(やっぱ信じないよなあ、自分でも信じられないし)」
と、イラクではそんな感じだったらしいぞ。
小泉首相は間違ってなかった。自衛隊のいる所「が」非戦闘地域だわw
12 名前:1/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:15:02.43 ID:okCjfRgL0
587 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:34:31
一昨年の夏、私は息子(5歳)を連れて家から車で1時間のところにある、
自然博物館の昆虫展に向かっていました。
ムシキングの影響で息子はとても楽しみにしていました。
あと数キロと言う地点で渋滞の最後尾に。
止まった瞬間、ものすごい衝撃に襲われました。
後方から来た大型トラックに追突されたのです。
一瞬何が起こったのか理解できませんでしたが、
すぐに追突されたと判断できました。
即座に助手席に居た息子の安否を確認しようしたのですが、
そこには息子の姿がありませんでした。
子供の名前を叫ぶと、助手席の足元から「痛い」という声が。
息子は衝撃でシートから足元にずれ落ち、挟まれていました。
正直半狂乱になってしまいました。
あのときの私は完全に冷静さを失っていました。
13 名前:2/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:28:54.94 ID:okCjfRgL0
589 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:44:13
半狂乱の私も足を挟まれて動けない事に気づきました。
動けない私は叫ぶしかなかったのです。
追突から時間にして1~2分でしょうか。
いきなり運転席側の変形したドアを無理やり開けてくれた人たちが居ました。
緑色のヘルメットに迷彩服の数人の自衛隊員。
私の足が挟まれているのを知った後、何やらバールのようなもので運転席をこじって、
後ろにずらし私を出してくれました。
「息子が助手席の足元に挟まれてます!助けてください!」
お礼の前にそう叫んでいました。
すると若い隊員さんは運転席同様、助手席シートを無理やりはずし、
潜り込むように助手席に入っていきました。
他の隊員さんと大声で作業指示しながら懸命に救助されていました。
数分でしたが私にとってはとんでもなく長い時間に感じられました。
そして息子は挟まっていた車体から外に助けていただきました。
14 名前:3/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:31:33.38 ID:okCjfRgL0
590 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:53:28
と同時に救急車と工作車が到着。
息子は救急隊の方にゆだねられました。
私も両足が痛くて立てなかったのですが、
せめてお礼だけはと思い、その隊員さんのもと這って行きました。
私「本当にありがとうございました!ありがとうございました!!」
自「いえいえ、当たり前のことをしただけです。怪我は治ります。
命が無事でよかったです」
その隊員さんをよく見てみると、右肩付近が黒く濡れている。
私「もしかして怪我されているんじゃ?」
自「え?ああ、潜ったときにチョット何かが刺さったみたいです」
隊員が体をひねって右肩を見せようとしたところ背中はさらにベッチョリと
濡れていました。普通に考えたら大量出血です。
それでもその隊員さんは笑いながら「チョット痛いだけです。大丈夫です」と。
その後私は息子と共に救急車で運ばれていきました。
15 名前:4/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:33:18.57 ID:okCjfRgL0
591 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:00:20
息子は両足の骨折、私は右足の骨折でした。
治療が終わって息子のベットに行きました。
「よく泣かなかったね、がんばったね」
と声を掛けてやると、息子は
「お兄ちゃんが笑ってたから泣かなかったよ。クワガタの話もしたよ」
冷静さを失っていた私は聞こえませんでしたが、
隊員さんと何やらムシキングの話をしていたそうです。
その為、息子は安心したらしく痛くても我慢できたそうです。
嬉しくて有難くてそこで初めて涙を流しました。
593 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:05:08
その後、救援に来ていただいた消防署に出向き、
その隊員さんの所属を教えていただきました。
駐屯地の場所をネットで探し出しました。
そのページを見ると「記念行事」なるものが2週間後にあることが判明。
怪我の治療状況と相談し、記念行事にお邪魔する事にしました。
16 名前:5/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:36:18.81 ID:okCjfRgL0
595 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:13:21
初めて入る駐屯地。
意外と来客も多くビックリしました。
どこに行けば良いかも判らず、車椅子に乗せた息子とウロウロしてしまいました。
そのうち式典や訓練?が始まり、大砲や戦車の音にビックリ。
なんだか息子も私も楽しんでしまっていました。
午後になっても結局ウロウロ・・・。
と、その時1人の隊員さんが声を掛けてきました。
大怪我をしてまで息子を助けてくれた隊員さんでした。
ニコニコした笑顔に私は男ながら涙がこぼれてしまいました。
「あの時は本当にありがとうございました!」
この一言がどれだけ言いたかったか、息子の回復振りを見てもらいたかったか。
色々とお話を聞かせていただきました。
背中の怪我は何かが刺さったのではなく、車体の金属部分で切った事。
17針縫った事。助けられて自分の子供のように嬉しかった事。
私にとっても息子にとってもそこに居たのは正にヒーローでした。
17 名前:6/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:37:39.37 ID:okCjfRgL0
597 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:20:28
その後その隊員さんは普段訓練で乗られている緑色のバイクを見せてくれました。
足が完治していない息子を抱き上げ、一緒にバイクに跨ってくれました。
そのときの息子の顔はとても嬉しそうで、一緒にバイクに乗っている隊員さんは
まさにテレビに出てくる戦隊物のヒーローに見えました。
その時一緒に撮らせていただいた写真は、息子の宝物になっています。
ムシキングよりも自衛隊のお兄ちゃんの方が大好きみたいです。
599 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:23:48
長々と書いてしまってスミマセン。
もちろん実話です。
自衛隊に関しては色々な意見があるようですが、
少なくとも私たち親子にとって自衛隊の皆さんはヒーローです。
たった1家族の小さな力ですが、私たち家族は自衛隊の皆さんを応援します。
20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:38:53.02 ID:qMxnwK8+0
広島の平和集会にゲストとして呼ばれた自衛隊員に浴びせられた言葉
市民「自衛隊は無くすべきだと思いますが、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」
市民「自衛隊が有るから軍事的緊張が発生する、憲法違反だから自衛隊は無くすべきだと思います、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」
そこで自衛隊員の返事、俺はこの言葉をこれからもずっと忘れないと思う
自衛隊員「そう言う人達も守るのが、自衛隊です」
31 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2007/09/13(木) 00:13:22 ID:pTwC+efk
ぶった切って失礼します。
カンボジアPKOの話が出たので、ROMってた者だけど書いてみる。
自衛隊がカンボジアに行った年の翌年、観光に足を伸ばした印度のある町で。
その町から日帰りで行けそうな、目当ての遺跡のある町への鉄道チケットが
取れないかと、ツーリストインフォメーションでいろいろ聞いていたところ
後ろから声を掛けられた
「日本人か?」
振り返ると背丈190cmはあろうかと思われる、サングラスにワイシャツ・綿パン、
オールバックで髭まで生やした印度の偉丈夫。
「○○まで行きたいのか?」
…てっきり観光地によく居ると噂に聞いた
ヤウ゛ァイ人…にしては英語が丁寧で、様子も良い御仁。
「ちょっとこっちについて来なさい」
インフォメーションをちらりと見ると、係の兄ちゃんが
「んだんだ、そうすっとええだ」みたいなスマイル。
半信半疑でついて行くと、駅のチケットオフィスへ。
当時まだ、外国人用と自国民用で切符売り場は分けてあったのだが
ずんずんと脇のドアからチケットオフィスの内側へ。
24 名前:2/3[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:45:41.63 ID:okCjfRgL0
732 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2007/09/13(木) 00:15:33 ID:pTwC+efk
承前。
その印度の偉丈夫は何やら中年の駅員と話している。
すると駅員がこちらを見て
「明日の朝7時に出る急行がある。
帰りは特急で向こうを16時発、ざっと6時間は見物が出来るだろう…○○ルピー」
予想より遥かに安く、予約も入れていないのに急行+特急で発券してしてくれた。
謝意を呈すると偉丈夫氏、にこやかに
「まあ、明日無事に帰ったらにしておくれ」
翌日、目的の遺跡を堪能して戻ると、
インフォメーションの兄ちゃんの横に居た偉丈夫が微笑んで待っていた。
改めて謝意を呈するとはにかんで
「いや、実は去年カンボジアに行っていてね…」
この偉丈夫氏は地元の警察官。
印度からカンボジア派遣の文民警察官として行っていた際ににわかに虫垂炎に襲われて苦悶する羽目になった。
最寄りに駐屯しているのは日本の自衛隊。
電話で照会するとわざわざ車輛で迎えに来てくれた。
自衛隊の軍医による手術は成功、その後しばらく
自衛隊のところで御世話になっていたらしい。
25 名前:3/3[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:47:36.45 ID:okCjfRgL0
733 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2007/09/13(木) 00:19:07 ID:pTwC+efk
「ジャパンのアーミーは、素晴らしい連中ばかりだった…
臥せっている、ゆかりも無い外国人の自分に、必ず誰かが付き添ったり、
話をしに来てくれた。嬉しくて、特に親しくなった隊員に自分の○○ (残念ながら、この品物が何だったのかは忘れました)を贈ったところ、
彼はいつも掛けていたサングラスを呉れた…
以前冗談で、サングラスを誉めて借りて掛けてみた事があるんだ…
『御礼にお返しは必要ありません、あなたの、いつも使っているものでしょうに!』
と言うと、
『御礼の品は受け取れませんが、
我々の友情の印に、御互いの愛用品を交換させて頂けるなら嬉しい』と彼は言ったんだ。
『他に出来る事はありませんか』と聞いたら、
『貴方がもし、日本人が困っているのに遭遇したら親切にしてあげて下さい』
と言っていた…
だから、君を見た時に何か出来ないかと思ってね…
こんな事では返しきれない友情を、日本の友人は示してくれた、だから御礼なんて」
必死に単語を並べ立てて、御礼を言ったおいらにその人は最後にこう言った。
「それじゃあ、日本で印度の人間に会ったら親切にしてやってくれ、
そしてそいつには『次に会った日本人に、そうしてやってくれ』
と伝えて欲しい…」。
その後、帰国して印度の人とは何人か縁もあったが、
そう伝える事になった人はまだ居ない。
けれどもこの約束を果たすのには、やぶさかではないつもりでいる。
…長々、昔話で相済みません。
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自分はこれを見るたび、自衛隊の方々への尊敬と感謝で胸がいっぱいになります。
自衛隊の皆さん
本当にありがとう(´;ω;`)ウッ…
「何かキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」のsarahさんがとりあげていたのにつられて、僕も取り上げてみました。
スレはこちら
以下は上記スレからの一部抜粋です。
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1 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:00:30.06
何かある?
7 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:03:48.56 ID:q62b1krG0
2年前旅行先での駐屯地祭で例によって変な団体が来て私はやーな気分。
その集団に向かって一人の女子高生とおぼしき少女が向かっていく。
少女「あんたら地元の人間か?」
団体「私達は全国から集まった市民団体で・・・云々」
少女「で、何しにきたんや?」
団体「憲法違反である自衛隊賛美につながる・・・云々」
少女「私は神戸の人間や。はるばる電車のって何しにここまで来たかわかるか?」
団体「・・・・?」
少女「地震で埋もれた家族を助けてくれたのはここの部隊の人や。
寒い中ご飯作ってくれて、風呂も沸かしてくれて
夜は夜で槍持ってパトロールしてくれたのもここの部隊の人や。
私は、その人たちにお礼を言いに来たんや。
あんたらにわかるか?
消防車が来ても通り過ぎるだけの絶望感が。
でもここの人らは歩いて来てくれはったんや・・・・」
最初、怒鳴り散らすように話し始めた少女は次第に涙声に変わっていった。
あまりにも印象的だったのではっきり覚えている。
団体は撤退。
彼女は門をくぐった時に守衛さんが彼女に社交辞令の軽い敬礼ではなく直立不動のまま敬礼していた。
9 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:04:16.32 ID:qMxnwK8+0
2000年7月4日、20世紀最後のアメリカ独立記念日を祝う洋上式典に参加するため、
世界各国の帆船170隻、海軍の艦艇70隻がニューヨーク港に集結した。
翌日の5日に英国の豪華客船「クイーンエリザベス号」が入港してきたのだが、
折悪しくも2ノット半の急流となっていたハドソン河の流れに押された
巨大な客船は、あれよあれよと言う間もなく、
係留中の我が海上自衛隊の自衛艦「かしま」の船首部分に接触してしまったのである。
着岸した「QE」からすぐさま、船長のメッセージを携えた機関長と
一等航海士が謝罪にやってきた。
相手の詫び言に対応した「かしま」艦長はこう答えた。
「幸い損傷も軽かったし、別段気にしておりません。
それよりも女王陛下にキスされて光栄に思っております」
これが何千人もの船乗りたちの間で大評判になり、
ニューヨークだけでなく、ロンドンにも伝わって
「タイムズ」や「イブニング・スタンダード」も記事にし
日本のネイバル・オフィサーのユーモアのセンスを評価する声が高かったそうである。
「かしま」艦長、上田勝恵一等海佐の対応の見事さは勲章ものではないでしょうか。
10 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:04:49.73 ID:okCjfRgL0
493 名前:なご[sage] 投稿日:2009/03/24(火) 02:48:14 ID:G82vSG150
文芸春秋で自衛隊の面白い話が載ってた
自衛隊員A(以下A)「おい、デモ隊がここ(宿営地)に向かっているらしいぞ」
自衛隊員B(いry「うえ、この間アブグレイブでイラク人虐待があったばかりじゃん、どうすんだよ」
A「それが、どうも支援デモらしいぞ」
B「は? 支援デモ? 私怨じゃなくて? そんなデモ聞いたことね?よ」
A「俺もね?よ。ま、一応、本当に応援だった時の為に飲み物とアイスでも用意しておこや。暑いし」
デモ隊参上
彼らの持つ旗には自衛隊を支持する言葉が書かれていた
A「うあ、本当に支援デモだ。おい、アイス配れ、冷たい水あげれ」
B「アイス足らねーよ。弾幕薄いぞ、何やってんの。アイス追送頼む」
デモ隊、にこにこ顔でアイス頬張る、でもゴミぽい捨て。
自衛隊員見かねてゴミを拾う、すると、何てことでしょう、彼らもゴミを拾い出したのです。
そんなこんなで後日
米&英軍「おい、こないだのあれ、いくら使ってやったんだ?」
自衛隊「あれ?」
米&英「あれだよあれ、支援デモ」
自「あれは、住民が自発的にやってきたんだよ」
米&英「ははっそんなわけあるかよ。吐けよ、同盟国じゃん」
自「・・・・・・(やっぱ信じないよなあ、自分でも信じられないし)」
と、イラクではそんな感じだったらしいぞ。
小泉首相は間違ってなかった。自衛隊のいる所「が」非戦闘地域だわw
12 名前:1/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:15:02.43 ID:okCjfRgL0
587 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:34:31
一昨年の夏、私は息子(5歳)を連れて家から車で1時間のところにある、
自然博物館の昆虫展に向かっていました。
ムシキングの影響で息子はとても楽しみにしていました。
あと数キロと言う地点で渋滞の最後尾に。
止まった瞬間、ものすごい衝撃に襲われました。
後方から来た大型トラックに追突されたのです。
一瞬何が起こったのか理解できませんでしたが、
すぐに追突されたと判断できました。
即座に助手席に居た息子の安否を確認しようしたのですが、
そこには息子の姿がありませんでした。
子供の名前を叫ぶと、助手席の足元から「痛い」という声が。
息子は衝撃でシートから足元にずれ落ち、挟まれていました。
正直半狂乱になってしまいました。
あのときの私は完全に冷静さを失っていました。
13 名前:2/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:28:54.94 ID:okCjfRgL0
589 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:44:13
半狂乱の私も足を挟まれて動けない事に気づきました。
動けない私は叫ぶしかなかったのです。
追突から時間にして1~2分でしょうか。
いきなり運転席側の変形したドアを無理やり開けてくれた人たちが居ました。
緑色のヘルメットに迷彩服の数人の自衛隊員。
私の足が挟まれているのを知った後、何やらバールのようなもので運転席をこじって、
後ろにずらし私を出してくれました。
「息子が助手席の足元に挟まれてます!助けてください!」
お礼の前にそう叫んでいました。
すると若い隊員さんは運転席同様、助手席シートを無理やりはずし、
潜り込むように助手席に入っていきました。
他の隊員さんと大声で作業指示しながら懸命に救助されていました。
数分でしたが私にとってはとんでもなく長い時間に感じられました。
そして息子は挟まっていた車体から外に助けていただきました。
14 名前:3/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:31:33.38 ID:okCjfRgL0
590 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 14:53:28
と同時に救急車と工作車が到着。
息子は救急隊の方にゆだねられました。
私も両足が痛くて立てなかったのですが、
せめてお礼だけはと思い、その隊員さんのもと這って行きました。
私「本当にありがとうございました!ありがとうございました!!」
自「いえいえ、当たり前のことをしただけです。怪我は治ります。
命が無事でよかったです」
その隊員さんをよく見てみると、右肩付近が黒く濡れている。
私「もしかして怪我されているんじゃ?」
自「え?ああ、潜ったときにチョット何かが刺さったみたいです」
隊員が体をひねって右肩を見せようとしたところ背中はさらにベッチョリと
濡れていました。普通に考えたら大量出血です。
それでもその隊員さんは笑いながら「チョット痛いだけです。大丈夫です」と。
その後私は息子と共に救急車で運ばれていきました。
15 名前:4/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:33:18.57 ID:okCjfRgL0
591 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:00:20
息子は両足の骨折、私は右足の骨折でした。
治療が終わって息子のベットに行きました。
「よく泣かなかったね、がんばったね」
と声を掛けてやると、息子は
「お兄ちゃんが笑ってたから泣かなかったよ。クワガタの話もしたよ」
冷静さを失っていた私は聞こえませんでしたが、
隊員さんと何やらムシキングの話をしていたそうです。
その為、息子は安心したらしく痛くても我慢できたそうです。
嬉しくて有難くてそこで初めて涙を流しました。
593 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:05:08
その後、救援に来ていただいた消防署に出向き、
その隊員さんの所属を教えていただきました。
駐屯地の場所をネットで探し出しました。
そのページを見ると「記念行事」なるものが2週間後にあることが判明。
怪我の治療状況と相談し、記念行事にお邪魔する事にしました。
16 名前:5/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:36:18.81 ID:okCjfRgL0
595 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:13:21
初めて入る駐屯地。
意外と来客も多くビックリしました。
どこに行けば良いかも判らず、車椅子に乗せた息子とウロウロしてしまいました。
そのうち式典や訓練?が始まり、大砲や戦車の音にビックリ。
なんだか息子も私も楽しんでしまっていました。
午後になっても結局ウロウロ・・・。
と、その時1人の隊員さんが声を掛けてきました。
大怪我をしてまで息子を助けてくれた隊員さんでした。
ニコニコした笑顔に私は男ながら涙がこぼれてしまいました。
「あの時は本当にありがとうございました!」
この一言がどれだけ言いたかったか、息子の回復振りを見てもらいたかったか。
色々とお話を聞かせていただきました。
背中の怪我は何かが刺さったのではなく、車体の金属部分で切った事。
17針縫った事。助けられて自分の子供のように嬉しかった事。
私にとっても息子にとってもそこに居たのは正にヒーローでした。
17 名前:6/6[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:37:39.37 ID:okCjfRgL0
597 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:20:28
その後その隊員さんは普段訓練で乗られている緑色のバイクを見せてくれました。
足が完治していない息子を抱き上げ、一緒にバイクに跨ってくれました。
そのときの息子の顔はとても嬉しそうで、一緒にバイクに乗っている隊員さんは
まさにテレビに出てくる戦隊物のヒーローに見えました。
その時一緒に撮らせていただいた写真は、息子の宝物になっています。
ムシキングよりも自衛隊のお兄ちゃんの方が大好きみたいです。
599 :専守防衛さん :2006/03/01(水) 15:23:48
長々と書いてしまってスミマセン。
もちろん実話です。
自衛隊に関しては色々な意見があるようですが、
少なくとも私たち親子にとって自衛隊の皆さんはヒーローです。
たった1家族の小さな力ですが、私たち家族は自衛隊の皆さんを応援します。
20 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:38:53.02 ID:qMxnwK8+0
広島の平和集会にゲストとして呼ばれた自衛隊員に浴びせられた言葉
市民「自衛隊は無くすべきだと思いますが、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」
市民「自衛隊が有るから軍事的緊張が発生する、憲法違反だから自衛隊は無くすべきだと思います、自衛隊員の○○さんはどう思いますか?」
そこで自衛隊員の返事、俺はこの言葉をこれからもずっと忘れないと思う
自衛隊員「そう言う人達も守るのが、自衛隊です」
31 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2007/09/13(木) 00:13:22 ID:pTwC+efk
ぶった切って失礼します。
カンボジアPKOの話が出たので、ROMってた者だけど書いてみる。
自衛隊がカンボジアに行った年の翌年、観光に足を伸ばした印度のある町で。
その町から日帰りで行けそうな、目当ての遺跡のある町への鉄道チケットが
取れないかと、ツーリストインフォメーションでいろいろ聞いていたところ
後ろから声を掛けられた
「日本人か?」
振り返ると背丈190cmはあろうかと思われる、サングラスにワイシャツ・綿パン、
オールバックで髭まで生やした印度の偉丈夫。
「○○まで行きたいのか?」
…てっきり観光地によく居ると噂に聞いた
ヤウ゛ァイ人…にしては英語が丁寧で、様子も良い御仁。
「ちょっとこっちについて来なさい」
インフォメーションをちらりと見ると、係の兄ちゃんが
「んだんだ、そうすっとええだ」みたいなスマイル。
半信半疑でついて行くと、駅のチケットオフィスへ。
当時まだ、外国人用と自国民用で切符売り場は分けてあったのだが
ずんずんと脇のドアからチケットオフィスの内側へ。
24 名前:2/3[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:45:41.63 ID:okCjfRgL0
732 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2007/09/13(木) 00:15:33 ID:pTwC+efk
承前。
その印度の偉丈夫は何やら中年の駅員と話している。
すると駅員がこちらを見て
「明日の朝7時に出る急行がある。
帰りは特急で向こうを16時発、ざっと6時間は見物が出来るだろう…○○ルピー」
予想より遥かに安く、予約も入れていないのに急行+特急で発券してしてくれた。
謝意を呈すると偉丈夫氏、にこやかに
「まあ、明日無事に帰ったらにしておくれ」
翌日、目的の遺跡を堪能して戻ると、
インフォメーションの兄ちゃんの横に居た偉丈夫が微笑んで待っていた。
改めて謝意を呈するとはにかんで
「いや、実は去年カンボジアに行っていてね…」
この偉丈夫氏は地元の警察官。
印度からカンボジア派遣の文民警察官として行っていた際ににわかに虫垂炎に襲われて苦悶する羽目になった。
最寄りに駐屯しているのは日本の自衛隊。
電話で照会するとわざわざ車輛で迎えに来てくれた。
自衛隊の軍医による手術は成功、その後しばらく
自衛隊のところで御世話になっていたらしい。
25 名前:3/3[] 投稿日:2009/04/16(木) 20:47:36.45 ID:okCjfRgL0
733 名前: おさかなくわえた名無しさん [sage] 投稿日: 2007/09/13(木) 00:19:07 ID:pTwC+efk
「ジャパンのアーミーは、素晴らしい連中ばかりだった…
臥せっている、ゆかりも無い外国人の自分に、必ず誰かが付き添ったり、
話をしに来てくれた。嬉しくて、特に親しくなった隊員に自分の○○ (残念ながら、この品物が何だったのかは忘れました)を贈ったところ、
彼はいつも掛けていたサングラスを呉れた…
以前冗談で、サングラスを誉めて借りて掛けてみた事があるんだ…
『御礼にお返しは必要ありません、あなたの、いつも使っているものでしょうに!』
と言うと、
『御礼の品は受け取れませんが、
我々の友情の印に、御互いの愛用品を交換させて頂けるなら嬉しい』と彼は言ったんだ。
『他に出来る事はありませんか』と聞いたら、
『貴方がもし、日本人が困っているのに遭遇したら親切にしてあげて下さい』
と言っていた…
だから、君を見た時に何か出来ないかと思ってね…
こんな事では返しきれない友情を、日本の友人は示してくれた、だから御礼なんて」
必死に単語を並べ立てて、御礼を言ったおいらにその人は最後にこう言った。
「それじゃあ、日本で印度の人間に会ったら親切にしてやってくれ、
そしてそいつには『次に会った日本人に、そうしてやってくれ』
と伝えて欲しい…」。
その後、帰国して印度の人とは何人か縁もあったが、
そう伝える事になった人はまだ居ない。
けれどもこの約束を果たすのには、やぶさかではないつもりでいる。
…長々、昔話で相済みません。
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自分はこれを見るたび、自衛隊の方々への尊敬と感謝で胸がいっぱいになります。
自衛隊の皆さん
本当にありがとう(´;ω;`)ウッ…
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--takeshima dokdo dokto tokdo tokto
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